【展覧会】Gallery A4「樹の一脚展 人の営みと森の再生」

東京・江東区にあるGallery A4ギャラリーエークワッド)にて「樹の一脚展 人の営みと森の再生」が開催されています。

「樹の一脚展 人の営みと森の再生」

会期25日~331

場所Gallery A410001800 日・祝日休館)

東京都江東区新砂111 竹中工務店東京本店1

 

私たち木工家は作品の材料となる木材をいつもは材木店で買っています。日本の材木店には多くの樹種且つ色々なサイズの材が揃い、それは世界的にもまれにみる充実度だと思います。大量に流通するためには大量に伐採する必要があり、自然破壊にもつながります。地球規模での異常気象が指摘される現代にあって、このような自然の消費の仕方がよいとは決して言えません。ならばその対抗軸として、自分の居住地域に育つ材を使うことを考えよう、という視点でこの展覧会は企画されました。

私には埼玉県川越近郊の「三富=サントメ」地区の材が与えられました。三富地区は最近でこそ語られるようになった”持続可能社会”の在り方を江戸時代から実践していた場所で、その歴史や実際のおこないは大変興味深く、当地の材を使うのはまた意義深いものです。シデ材を使いましたが庭木でいえば「ソロ」です。武蔵野の雑木林の木ですね。一般的な用途は布を織る機に使う「杼=ヒ=シャトル」くらいしか思い浮かびませんが、密度が高い材なので個人的には以前ペーパーナイフを作ったことがあります。同材で椅子を制作した経験はなく、性質を見極めようと薄板にして曲げるなどすると、粘りと強度は十分にあることがわかりました。ぱっと見は白っぽい材色以外に特徴のあるわけではありませんが、よく見れば年輪が均一、材の白さは無機的な感じで作品の形を際立たせてくれるように思います。


 こうした材で制作したのは「Aチェアー」と名付けた小椅子です。この椅子は初めて20代のころに作った後、いくつか作ったものの、ここしばらくは作っていませんでした。ジオ・ポンティのスーパーレジェーラ=超軽量椅子の1.8Kgより軽くしたくて、マホガニーを用いることで1.6Kgに収めました。この軽さは一重に椅子を小ぶりに作っているが故でもあり、今回は材が重いことと未知の材だったので安全を考えて少し部材を太くした結果、総重量は2Kgになってしまいました。スーパーレジェーラ本体は構造自体で軽量化ができているのはすごいことだと改めて思います。

 Aチェアーという名前は、4本の貫の描く形が「A」の形をしていることが由来です。しかしそれだけではなく「ただの一つの無名の椅子=a chair」の意味も込めています。椅子の巨匠ハンス・ウェグナーの作品に有名な「The Chair」があります。文法的には普通は定冠詞Theは付かないようで、この名前は「椅子という名の椅子」「椅子の中の椅子」というような意味でウエグナーの椅子への敬意を込めた名前なのでしょう。私の椅子はこれに比べればa chairという表現で巨匠への尊敬の思いを込めての命名です。

 各部材の断面は、菱形の各頂点を平らにした八角形にすることで、断面積に比べて見た目が細く映る工夫をしています。またこの菱形の内角のうち広い方(110度)が座面を特徴ある三角形にしています。外側に開いた後脚には、その延長上に貫を入れてAを形づくりました。結果、貫と座枠が逆の三角形を構成しているので組み立てこそ難しいものの、一旦組み立てた後はホゾが非常に抜けにくい構造になっています。これは全体を軽くするために部材が細くホゾも小さくなるので、その中で強度を出すための方法です。またホゾ部分を残してその他の部分に大きな面を取って強度を落とさず軽くする工夫もしており、その面取りがこの椅子のデザインポイントになっています。

 貫から脚へ、脚から貫へ自然に描くカーブと、八角断面を際立たせるきちんとした稜線が見どころで、最後は手仕事でしかできない仕上げとなり、大変な時間を要しました。面取りには荒取り段階でこそルーター等使えても、ほとんどは小刀と小さな豆鉋でなければ満足いくシャープな曲線は生み出せません。

 普通の「デザイン」では製造の合理化も考えて細部は決定されますが、私の椅子作りは他の工藝作品の制作と同じで、手間がかかろうが時間がかかろうが自分で一番美しいと思える形、特に細部の仕上がりを求めていきます。今回久しぶりに現代生活における家具の代表としての椅子を作り、工藝家が工藝作品を作る感覚での家具制作の在り方に改めて気が付き、木工藝家がその対象とするアイテムの一つとして家具にもっと力を入れるべきだと痛感しました。木工藝家には工藝家にしかできない家具があると思います。それは家具の形をした工藝作品というべきでしょう。日本伝統工芸展などでは作品の種類の幅があまりにも限られており、作家はもっと多様な作品に挑戦すべきことを、またそれは可能であることを今回の仕事で痛感させられました。

またこの展覧会では陳列されている椅子に、どなたも自由に座ることができるとしています。その前提で出品依頼を受けたのですが、私は「座るときは受付にご連絡を」の条件付きにしていただきました。これにはいろいろ理由があるのですが、今まで述べた「工藝作品としての椅子」というスタンスがまずは影響しています。

私の作った椅子は、例えば黒田辰秋の「王様の椅子」のようにいかにも一品制作の、個性的な、木質感あふれる椅子と違って一見普通に見えます。しかし制作の方法、スタンスは日本伝統工芸展などに出品する一品制作の作品と全く変わりません。もちろん使えない、あるいは使ってはいけないのではなく、使うときに「心得」がいると思っています。絵画のような芸術は基本的には「見る」だけですから鑑賞によって作品が痛むことはありません。しかし工藝は私が常々言っているように「触覚の芸術」であって触る中に喜びがあります。ですから不特定多数の心得のない鑑賞者は想定していないのです。

この展覧会場でもオットマン付きの椅子にごつい靴のまま足を投げ出して座っている方を見かけました。その場で注意すべきだったのですが、特に私の椅子は取り換えの利かない一点限りの作品ですからそれは困ります。また「そのような物は椅子ではない、椅子は作品ではない」という意見にも与しません。定番商品の展示見本ではないのです。不注意に靴が当たって丁寧に削り出した稜線が凹むことは耐えられません。ですから理解ある方に丁寧に使っていただきたいのです。椅子は座り心地こそ命という主張はわかります。しかしだからといって飲みやすさを確かめるために高価な蒔絵椀に熱い汁ものをよそって食事をして試してみることはないでしょう。どうも木工作品は「手軽な物」「気安いもの」「強いもの、強くなければならないもの」と作家も使い手も思っているようですが、違うスタンスもあってしかるべきでしょう。

本来の展覧会の趣旨から少しずれてしまいましたが、少々わがままを言わせていただきました。ただこんなことにも改めて気づかせてくれた展覧会であり、参加してとてもよかったと感謝しています。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    青木紀夫 (日曜日, 21 2月 2021 08:37)

    4年前にGWWを体験し椅子というものに興味を持ちfbを通じて視野も少しは広まったつもりです。須田賢司さまのコメントを読ませていただき大変貴重なご意見だなと得心致しました。感謝です。奈良県五條市在 69歳