<木工藝の系譜>
太田萬吉―おおたまんきち
生没年不詳。
明治初期に東京市日本橋東仲通り(現在の日本橋高島屋南東角)あるいは日本橋新右衛門町四番地に居を構えた指物師。明治15(1882)年に三宅島出身の前田文之助を受け入れた。御蔵島桑材の優位性にいち早く着目し、茶道具始め調度品にその桑材を持ち込み、その後の東京での指物の特色の礎を築いた。また工芸品の質の向上にも熱心で山高信離著「秋琴堂観賞餘興」の発行人になるなどした。明治9(1876)年フィラデルフィア万博、明治11(1878)年パリ万博、そして明治23(1890)年第3回内国勧業博覧会に出品。大正5(1916)年事業不振により廃業。
<漆藝の系譜>
柴田是真―しばたぜしん
別号)令哉・対柳居等
文化4(1807)年、江戸生まれ。
古満寛哉に蒔絵を、鈴木南嶺・岡本豊彦に四条派絵画を学び、絵画・蒔絵・漆絵に才を発揮する。古来途絶えていた蒔絵の技法・青海波塗を復活させ、内外の展覧会で受賞した他、宮中の御用も度々つとめ、明治御殿襖絵や新宮殿杉戸絵などを描いた。頼山陽・香川景樹ら諸名家とも親交した。近代蒔絵の基礎を築いた巨人。帝室技芸員。
明治24(1891)年歿、85才。
前田桑明―まえだそうめい
本名)前田文之助
明治4(1871)年 三宅島神着村生まれ。
明治15(1882)年に殖産興業目的での東京派遣され、日本橋の家具指物の名工・太田萬吉に師事する。10年程の修業を経たのち、明治28(1895)年、第4回内国勧業博覧会で桑製両面用書棚が宮内省御用品となる等、指物師として別格の桑樹匠としての地位を与えられる。帝室技芸員・石川光明と親交があり、名前の"明"を頒けられて桑明と号す。
昭和17(1942)年歿、71歳。
池田泰真―いけだたいしん
文政8(1825)年、江戸赤坂生まれ。
幕末から明治にかけて活動した漆工家、蒔絵師。柴田是真の一番弟子と言われ、師ゆずりの江戸趣味を加味した作品を得意とした。安政6(1859)年に浅草榊町に独立。明治6(1873)年ウィーン万博出品。明治29(1896)年帝室技芸員認定。
明治36(1903)年歿、78才。
須田桑月―すだそうげつ
本名)須田賢治郎(賢司父方祖父)
明治10(1877)年、岐阜県関市生まれ。
吉田(きった)大工の系譜の宮大工として働いていた折、新長谷寺蔵の重要無形文化財の厨子修理に立会ったことを契機に明治40(1907)年上京、前田桑明に師事。桑明の"明"の旁を頒けられて桑月と号した。桑明の右腕として活躍し、大正13(1913)年日本橋蠣殻町で独立。
昭和25(1950)年歿、73歳。
都筑幸哉―つづきこうさい
別号)木春居
明治9(1876)年、東京市下谷西黒門町生まれ。
蒔絵師として池田泰真の高弟となり活躍する傍ら、御家流香道家元を預かっていた父である都筑宗穆(成幸)より香道を習得、多数の門下を育成した。日本漆工会理事。代表作に「流水桜漆絵十種香道具」(公益財団法人遠山記念館蔵)など。
昭和17(1942)年没、66歳。
須田桑翠(二代桑月)―すだそうすい
本名)須田利雄(賢司父)
明治43(1910)年、東京市京橋生まれ。
指物師・桑物師の父須田桑月に学ぶ。後に梶田惠(かじためぐむ)に師事。茶道にも造詣が深い。日本伝統工芸展で入選を重ね日本工芸会理事・木竹工部会長をつとめた。代表作に「槐座右棚」(東京国立近代美術館蔵)など。
昭和54(1979)年歿、69歳。
山口春哉―やまぐちしゅんさい
本名)山口潔(賢司母方祖父)
明治28(1895)年、東京市日本橋河岸生まれ。旧姓海老原
祖父である海老原梅吉が、八丁堀與力を務めていた都筑宗穆(都筑幸哉の父)の配下にいた縁から、幸哉に師事し蒔絵を学ぶ。
昭和56(1981)年歿、86歳。
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