楓嵌装小箪笥「安売乃宇美丹」について

楓嵌装小箪笥「安売乃宇美丹」/須田賢司

楓嵌装小箪笥「安売乃宇美丹(あめのうみに)」

 

 天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

 

もともと仕事三昧の私ですが、コロナ禍で私はいつも以上に工房に籠って仕事ばかりしています。そこで本年は制作に集中できたという点においては例年以上に力を入れた作品になりました。現代の工藝は使うこと=道具というより、すでに「表現の工藝」という側面が強くなっています。手間のかかる良質な木工藝の仕事は特に何かのためというより表現行為の中にこそ生き延びることが出来ると思っています。

そこで以前から言ってみれば外見は単なる小箪笥や箱の作品に題名を付けるようにしています。それはあたかもベートーヴェンの交響曲第5番を「運命」と呼ぶように、端的にその作品世界に人々を引き込む力があります。中でも漢詩の一節を題とした作品群は、その詩が描く世界や漢詩を日本語で読み下すときの独特なリズムを連想し、思い描く理想の文人世界へと私を誘ってくれることを願っていました。しかし齢を重ね近頃は漢詩の世界が少し苛烈に感じられ、湿潤な天地(あめつち)に育まれた萬葉の世界に心惹かれることが多くなりました。

上記の和歌は萬葉集巻の七の冒頭を飾る雜歌、天を詠める歌として有名です。作者は柿本人麻呂と言われていますが諸説あるようです。今回はこの歌に惹かれて作品となりました。

 満点の星空を海に見立て月の船で漕ぎ出すという、何とも壮大な世界がたった三十一文字で表現されています。この壮大な情景を読むことはそれこそ漢詩の影響も指摘されるようです。人麻呂のような教養人にとってこの時代、漢詩の素養は必須だったのでしょう。しかし私にとってこの指摘は漢詩の世界観を咀嚼し、和の世界観に止揚した結果のように感じられ一層この和歌の世界に惹かれました。

 このテーマを小箪笥の中に閉じ込めました。白いシカモア材の下部に黒色材をあしらい、そこに各種蝶貝で星空を象嵌しました。黒漆地の螺鈿と違い、木目が織りなす変化にとんだ混沌をバックとした木地象嵌もいいものです。中を開けると月の船が現れます。山桜材で出来た2杯の抽斗の間の棚板はあえて通常よりぐっと厚くしてそこにも金とプラチナの星が輝きます。月は銀に金銷仕上げをした後さらに銀箔を焼き付け表情に変化を付けました。

楓嵌装小箪笥「安売乃宇美丹」/須田賢司

 左右の小箪笥を綴じ合わす海老錠も今回は多少大振りに作り同じく金銷で仕上げ、プラチナの華文で飾っています。海老錠の座は雲形に作りました。作品の中央につくこの金具は作品の大きなポイントで、今回のように非対称の形は珍しい試みでしたが動きが出たように思います。

円錐台形の足は小笠原産の桑です。今では数個体しか残っていない絶滅危惧種でこれから出てくることはないでしょう。硬質で緻密な質感はこのような細部の仕事によく向いています。これによって全体が引き締まります。材の持っている持ち味、世界をよく知ることが木工藝作家には必須です。我が家に戦前もたらされた貴重な材料です。

このような細部へのこだわりの一つ一つの積み重ねが全体の調和を壊さず、バランスよく成り立つのが理想なのですがなかなか難しいものです。今回は特に漆芸の世界にみられる「葦手絵」のように和歌の言葉が各部に散りばめられています。

3年前やはりこの展覧会に憶良の歌「妹が見し 楝の花は散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに」に題をとった作品を出品しましたが、今回期せずして全く同時代の歌人となりました。

小さな小箪笥ですが手元に置き、掌で弄ぶとき心は広大な天地に遊ぶことを願いました。