2024年・新年のご挨拶

 

 あけましておめでとうございます。

 ここ群馬は快晴の元旦です。大雪の地方もあり、また戦乱の地もある中、それだけでもありがたいことに思えます。

 今年は私にとっていろいろ節目になる年です。年齢も古希を迎えます。遥かかなたのことと思っていましたがもうそこまで来ました。仕事を本格的に始めて50年(正確には昨年のようですが意識しませんでした)。重要無形文化財「木工芸」保持者に認定されて10年。

 その年頭に当たって思い浮かぶ言葉は「僥倖」です。今まで、それなりの努力は重ねてきたつもりですが、まず努力の前提として、その素地に自分が恵まれたこと、それが周りの協力・援助を得て続けられたこと、何より報われたことは僥倖以外の何物でもありません。私を支えてくれた何ものかに、努力だけではどうにもならない偶然の積み重ねともいえる他者の存在に深い感謝を捧げたいと思います。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。世界の平安を切に祈ります。

 

 今から20年以上前に「九つの音色」という9人の作家による集まりがあり、2年ごとにテーマを決め展覧会を開いて本を出版してきました。最後の5回展(2009年)のテーマは「祈りの継承」。その時寄せた一文が今の気分に合うようです。再掲いたします。

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祈りの継承 

      

 私の周りには何故か佛家の縁が多い。かと言って私自身特に信心深いわけでもない。ごく普通の日本人の例に洩れず命日にお参りをし、回忌に法要をするくらいである。小さい時から両親が仏壇によく向かう姿を見て育ったが、それに比べると格段にその習慣から遠ざかっている。さらに子供たちを見れば後は推して知るべしである。

 そのような私にとって「祈り」とは何か特定の宗教に対する帰依ではない。今私自身が生きていることに対し、大きな驚きをもって気付き、この大いなる生の偶然に対する感謝の表象という言い方が近いように思う。私たちは「おかげさまで」とごく自然に言う。喜びあり、楽しみあり、そして苦しみもあるこの現世にそれらすべてを包み込んで今生きていることは、ただただ驚きである。「おかげさま」に端的に、無意識に言い表されてきたが、それは「僥倖」ということに他ならない。

 自分の足許を見つめ今ある姿を「僥倖」と言えることは何と幸せなことだろう。祖父が始め、父が築いた我が家の木工芸の系譜も、日本の近代木工芸の展開とともに100年余の時を刻んできた。

 湿潤で地味の肥えた風土にあって、優良な木材に恵まれた本邦では、古より木工は盛んであったはずである。「湯水のように」という言い方があるほど水に恵まれたこの日本列島は地政学的にはまれに見る幸運の緑の大地というべきだろう。しかしだからこそ木による造形はあまりにも当たり前のものとして、改めて顧みられることがなかった。他の工芸諸技術が庶民の実用品から、それを当初目的としたかどうかはともかく鑑賞に堪えうる「作品」まで重層的に花開いたのと違い、木工品は長く実用のみの世界に甘んじてきた。

 祖父が手先が器用と言うだけの理由で弟子入りしたのは、そんな時代の話である。当時としては歳をいってからの修行だったが「偶然」にも性に合い、「偶然」にも、師は作家という新しいスタイルを目指す人でありその下で正しい木工藝を習得した。その子である私の父は長男として「当然」の事として跡を継がされることとなる。決してこの仕事に向いていたとはいえぬがそれだけに人一倍努力を重ね、祖父の築いた正統の木工藝を発展させ、作家性を前面に出す生き方を選んだ。素材と技術に依拠しそこに作家としての作り手の存在を表明する日本独自とも言える工藝観に基づく作品制作である。

 単に生活財を作り出す職人仕事から離れ、「作品制作としての木工藝」は苛烈と言ってもいい。その姿を身近に見て、違和感もいわんや嫌悪感など持たず私は「自然」にこの道に入った。「木の国」日本は不思議にも木工藝を体系的に教え、研究する機関を持たない。その中にあって私は幸いにも祖父から、いやその師以前からの正統な木工藝を尊び受け継ぎ、その上に自己の世界を築くことができる。また自分にとってそれがごく自然に感じられることはまさにこの仕事が私の天職であり、今ある姿が「必然」の姿と、この頃とみに思うようになった。「伝統工芸」は伝統があるだけに思いつきでどうにかなるものでも、ひらめきだけでできるものでもない。量としての技術の練磨と素材への理解が質の変化として昇華しひとりの木工藝作家として誕生するのに100年余かかったことになる。

 偶然から始まり当然―自然と経て今必然と言える。これこそ「僥倖」と言わず何と言うのだろう。

 私にとっての『祈りの継承』はこの今の僥倖の自覚の延長上にある。